寝台特急の旅 その4 


  寝台特急 北陸 ソロ(B寝台個室)乗車記 (2007.12.6乗車)

寝台特急 北陸 この列車の存在意義が良くわからない。上越新幹線と在来線を乗り継げば4時間弱で着くところを、特に夜行にする理由がない。7時間半の乗車時間とはいえ、眠れるのは正味5時間程度で、その上、上りも下りも6時半に着いてしまう。仕事にしろ観光にしろ、どう考えても早過ぎる。金沢か東京に自宅がある人で、仕事前に家に帰り、一休みできる人以外使いようがないのではなかろうか。
 しかし、不思議なことに8両編成中4両が個室で、しかも乗車率は寝台特急の中にあっては悪くないらしい。 寝台特急ファンとしては乗ってみなければならない。しかし7時間少々では、お得意のA寝台個室はもったいない。乗ったことが無いB寝台個室ソロにしてみた。
 真夜中の走行で景色も良く見えず、車窓を眺めながら駅弁を頬張る楽しみもなく、はっきり言ってつまらない。おまけに富山到着前5時半に車内放送でたたき起こされ、眠っている間に目的地に着きホテル代を浮かせる事以外、メリットは無い。
 個室寝台特急に乗るならB寝台から始めて、興に乗ったらA寝台も楽しむのが普通だと思う。しかし、去年この列車に乗ったのが初めなら、これほど寝台特急に夢中になれなかったような気がする。
写真:寝台特急 北陸 上野駅13番ホーム


 2007年12月6日上野発金沢行「北陸」 B寝台個室2階席に乗車
上野-大宮-高崎-直江津-糸魚川-魚津-富山-高岡-津幡-金沢

 あまり楽しめないように書いたが、開放寝台と比べてB寝台ソロは悪くない。開放A寝台よりも私は良いと思う。何といっても開放B寝台と同じ6,300円で利用でき、超お徳なのだ。20系と呼ばれる初期のブルートレインは、ベット幅50cm、三段寝台で値段はほとんど同じだったのだから、ぼったくりのようなものだ。
 現在、開放B寝台と個室B寝台が混在し、同じ列車に両方備わる物も多い。どう考えたって個室が徳だ。国鉄時代、寝台車の需要を喚起しようと、このような車両を作ったのだろうか。当然の事ながら個室ばかり人気で開放車はガラガラ。定員の少ない個室では採算が悪いのか増備もせずに老朽化するばかり。寝台特急の凋落はもはやいかんともし難い。
上野発夜行の最終便がこの北陸
おなじみ上野駅地上13番ホーム

考えてみたら、上野発の夜行列車は現在5本しかない。
ちなみに、1965年の時刻表(どういうわけか家にある)を見ると、上野発の夜行列車は東北線、常磐線、上信越線合わせて特急2本、急行21本、準急1本、普通1本、合計25本もあり、正に隔世の感がある。
行き止まりの上野駅地上ホームに、機関車に押された客車がバックで入線してくる。

電車が一般化する前は、すべての列車がこのようにして入線したのだろうが、今では一日五回の儀式。
電車は両運転台なので、どちら向きにも走れる。
窓から顔を出し、後方確認しながら入線する機関手

ホーム天井から停止位置を示すプレートが垂れ下がり、その位置で停止すればぴたりと合う。
窓から首を出したって、200mも先の確認など出来るはずが無い。
今夜の宿
14系は4両毎に一両床下にディーゼル発電機を備える。発電機の載った車両はちょっとうるさいが、幸いなことに無しの車両だった。
この客車、開発されてから30年以上経つのに未だに現役。
上野駅 発車間際
機関車を撮影し、最後尾も撮影となると、二百数十m移動しなければならない。
好きでなければ馬鹿馬鹿しい。
個室
室外から広角レンズで写してもこれだけの広さ。ドア正面が座席兼用になっている。
窓際は車両の丸みで座れない。読書灯が左側なので、足が右側だろうが、右を頭にして空を見上げていた方が楽しい。
個室窓
ネット上の乗車記を読むと、湾曲した窓から星空が見え、「まるでプラネタリュ-ムのようだ」と言う話だったが、窓は真上ではないから仰け反らないと空は見えない。
その辛い姿勢で星を眺めても、それ程楽しめない。星を眺めるならA寝台個室の大窓の方が良く見える。
東京近郊に多い立体交差の陸橋を通過するとき、頭の上をそれが過り、それなりに面白い。
それにしても踏み切り等、線路を照らす照明の多いこと。とても寝付けず、ブラインドを下ろした。
景色を見るなら窓際に座れる一階席の方が良いかも知れない。
ドア
ドア横の凹みは物入れ。これしかない。足元に転がしておけば良いだけの話だが。
その上に空調の調整スイッチ、BGMのセレクターなどがある。
大宮駅
二階席からホームを見下ろすとこんな感じ

こんな時間でも勤め帰りの人で混雑しており、女性も多い。都会に居た頃は日常的な光景だったが、地方に住むと驚く。
 この後、高崎を出たあたりから眠ってしまったのだと思う。長岡駅では客扱いをせず、機関車を直流用のEF64から交直両用のEF81にバトンタッチし、進行方向も反対に替わる。機関車開放と連結のショックで目が覚める事が多いのに、今回は熟睡していたのか全く気付かなかった。
 寝台列車は6時半頃車内放送が始まり、無理やり起こされる。ところが北陸では魚津通過直後、5:15頃「まもなく富山です」と始まった。結局5時間も眠れなかったわけだが、座席夜行列車で数時間眠れるか眠れないかと言う事に比べれば、5時間でも手足を伸ばして眠れると言うことは、本当にありがたい。
富山着5:33
6時くらいまで眠れると思っていたのに、5:15に起こされてしまった。
富山で降りる人がいったい何人いるのか?
富山で降りる人だけ別の車両にし、そこだけ放送するとか工夫できないものだろうか。
30年も昔は、途中で降りる人を車掌さんが起こして回っていたのに、人件費削減で最低数の乗務員しか乗っていないのだろう。
ホーム反対側には名古屋行しらさぎの一番電車が留まっている。
40年前富山に通学していた1年半、この地下道を毎日通った。
6:34終点金沢着

外は薄明るくなってきた程度の夜明け前。
駅から降りてみて驚いた。
なんだ、あの建造物は。もてなしドームと言われるらしい。
こういうわけの判らん物は、話題性があるかも知れないが誠に奇異で止めて欲しい。
古都金沢の看板を捨てるなら、ご自由にと言うところ。


 朝早すぎ、観光施設などどこも開いていない。時間つぶしのため七尾行の列車に乗る。富山に2年半住んだが、能登半島へは行ったことが無く、時間つぶしには適当だった。20年以上前、夜行で東京に行ったとき、到着が早すぎて山手線を一周した事を思い出した。
 この後七尾から福井まで行き、永平寺を見物し、大阪まで行って下り寝台特急「日本海1号」に乗車。この行程を座席の夜行列車でこなすのは無理だろう。面白くない「北陸」と記したが、疲れずに移動できるのは確かだ。
 

 寝台特急・個室の旅 

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